十年越しで

その程度は経過しているのですが,さきがけのテーマの初期部分がようやく芽になりそうな気配.これも経緯が色々とあり具体的な形とするまで妙に時間がかかっています.さきがけ開始して3年で最初の論文を出したかったのですが…定年までに核心部分が論文になるのか非常に不安…無理かもしれない.

ひとえに自分のイメージの問題.基本的に学生にテーマを割り振り進捗具合を見ながら収束させていく.学生の実験数は無関係ではないものの,どうやって着地させるか,そのあたりのイメージが遠藤自身の中に明確にすることが最重要かなぁとは…

ただ旧帝大の学生のように大学教員志向がある程度であれば,無茶振りが可能だということは遠藤自身も認識しています…実際に曖昧なものを学生やポスドクに投げて,そこから学生が必死に考え多様なアプローチを続けて1〜2年ほど経過すると方向性が固まってくる.遠藤もM1で最初にテーマ説明された時は度肝を抜かれましたからね…あの度肝を抜かれる経験を自分のところの学生にも味わわせたいけど,やめた方が良いとは思います.あれは成績の良し悪しは無関係に人を選ぶ.潰すか,成功するか…いや前者の確率が高すぎて怖いですね.自分自身,潰れていた可能性もあるので.

さて,十年前あたりだと遠藤自身が方向性に悩み始めた頃です.当時は触媒と反応開発中心で進めてきており,JACSやAngewに出してacceptされる感覚も身についていました.そのため触媒と反応開発も個人的には進めようとは考えていたものの,遠藤が研究を志した契機自体は触媒や反応開発ではなく,どちらかというと初期の発想は生体模倣系や錯体,材料開発っぽいものでした.これも小学生〜高校の頃に考えていたものですけどね…結局,人間は一番最初に立ち戻るのですよ.

修士から博士課程の頃は触媒,反応開発に従事していたことから,大学教員としてスタートダッシュかけるには生体模倣系〜材料開発では難しいだろうと考えて一度は放置.なんとか大学に残れそうな気配が出てきたのが十年前ということです…

ここから迷いが生じてきたのですよね.色々とがんじがらめになっていたこともあり,基本的に触媒と反応開発という枠組みに入っていたことから,うまく切り替えができませんでした.この曖昧な状態が十年ほど続いており,半分強は材料系に置き換えようと検討して七転八倒です.これから出ていく論文を見ていただければ,なぜ遠藤がここ十年ほど苦しんできているかがわかるはず(先を越されてしまうと困りますね)…とはいえ,切り替えに長けた人は要領よく論文を出すのだろう…要領が悪いのですつまり.

進歩賞を受賞した前後で既に先のことを考えて暗澹たる気分に陥っていました.なおPIになれることが決まってから,もう気を遣わずに自分の好きな研究やろうとは思っていました.でもまだ気を遣っています.スパッと切り替えるのは難しいです.

材料の柱は当面は3〜4本です.ただ研究室の規模から考えると数が多い気もする.

その1本は年内に投稿する予定…次の一本も最初の着地点のイメージが出来上がってきたことから遠くはない時点で投稿まで持っていけそうです.その他に小粒な反応系の論文を出す方向性です.

要領よく研究をつなげていきたいですねぇ…難しい.