考える大学生を増やすには

大学生が受け身になりやすい背景としては,ドロップアウトしそうな大学生を積極的に救済しようと頑張ってしまった結果かもしれないですね…

 

学費に見合うサービスを,ということは特に主張されている.

しかし「日本の大学の学費は高い」と言いますが,アメリカなんてもっと高いのでは?

比較するだけ無意味かもしれませんが.

 

大学って何なのか,というところを,社会が考え直す時期に来ているかと.

高卒と同程度の力の大卒が少なくない,かもしれない.

 

遠藤は大学生の頃に「高校3年生の頃の自分のほうが(教科書レベルでは)切れ者だったのでは」と感じていました…

 

ただ考えてみると「教科書をいくら習熟してもただの人」なのです.

だから「ある程度まで」で十分で,次は「自分で疑問を持ち考えること」が必要になる.

 

教科書のレベルは「誰にでも理解できる」という基準にあると思います.

それは大学受験も実際はそうです.東大でも.

解答できる前提で問題作成されている.

 

重要なのは「自分で誰も気づいていない問題を作ること」ではないでしょうか.

そのためには,教科書で理解できる範疇を認識しておく必要がある.だから基礎的な勉強をする.

 

…よって,大学では「試験問題を作る」という試験が良いかもしれないですね…

 

・教科書は学生が自分で勉強

・実力があるかを教員が試験などで判断

・教員と履修内容についての質疑応答はいくらでも可

 

これくらいで十分な気もするのですが,まったく許されていない感じですね.

 

ドロップアウトをさせない教育を求め,考える力のある次代の研究者候補を育成し,教員の研究レベルも求める,なんてことは難しい.

研究について大学に重点が置かれている以上,教育に融通をきかせるべきでは…

そして学生は自己研鑽により考える力を身につけさせる.生存競争させるということです.

これで特に悪い点は見当たらないんだけどなぁ.

 

学生に生存競争させる = 次代の研究者候補が育つ = 教員の研究が進む,という感覚ですけど.

どうしても「大学 = サービス業」という感覚になり「生存競争」という扱いにないのが問題ではありますね.

 

教員は道標にはなるけど,道路を作って学生を歩かせるだけでは駄目なのです本来.

道標を見失い危機感を抱きながら荒れ地を進む強さがなくなってきている.

この「荒れ地を進む強さ」は,そのまま「実験・研究の力」になるから,極めて重要だと思うのです.

 

最近の大学は「完全な舗装道路を作って卒業まで歩かせよう」としている気もします.

もっと苦悩させて,ふらふら寄り道をさせるべき.

…私大だと特に難しいのか…?

 

研究には「自発的に工夫をひたすらする学生」が極めて重要です…これは「寄り道タイプ」の学生で,既にある舗装道路をひたすら進んだ「直進タイプ」の学生では難しい.

寄り道タイプが10%いると全体的に研究が急進する.

細々と言わなくても全部やっておいてくれますからね.

脱気したか,TLCとったか,スケールは妥当か,触媒はスクリーニングしたか,当量は変えたか,基質に工夫はしたか,他の合成ルートは考えたか,そもそもテーマに工夫をして自分なりに磨き上げたか…

その他色々を,逐一指示していると時間がかかりすぎるのです.

研究は「直進」だと結果が出ないことが多いためです.成果をだすために重要なのは「寄り道迂回路」をひたすら開拓することだったりする.