立ち位置さえ認識していれば…

問題はないと思うのですね.

遅刻しても欠席しても,それでも成果を出していけるなら,その世界観は独特だということなのです.

自分のペースでうまくいく,という珍しいケースもあるので,意地でも研究室にやってくるという姿勢がベストとは言えない.
それに,ブラック企業と類似の発想で,時代にあっていない,と思うかもしれない.

なぜ「いかに時間をつぎ込んだか」で能力が磨かれていくかというと,最初は,全員が似た世界観の中に生きているからかと思われます.
つまり,その研究領域における個性が,学生には,全くない.

しかし,それは本来,競争とかいう色で比較できるものではないのですが…

研究 = 熾烈な競争,という考え方が根強くなっている現在の方が,おそらく,おかしいのです.
この世界の真理追求の一種が研究であり,その真理なんてのは,個人によって異なるのです.
競争ということは,あるゴールが用意されている前提にある.
しかし研究にゴールは存在しません.

ある個人が死ぬまでに完成させる身勝手な世界観,これが研究だと言えるでしょう…
その中には「競争で勝った」という世界観も含まれてはいます.
ただ,個人で異なる世界観が研究であるなら,ある用意されたゴールに向かって早さを競うのは,ちょっと変ですね?
全員,同じ世界観を構築するのが目標だとすると,それは研究ではないでしょう.

とは言え,学生には,研究における個性がない.
その個性を,どれだけ早く確立するか.
そのためには時間を惜しむ余裕などない.これが実際ですが,研究以外の発想が役立つこともあります.
そういった,研究以外の感性が影響を及ぼすまで,10万時間は必要なのですかね…

その研究には,研究費が必要ですね.
研究費 = 金 = 社会における価値の一種
ということで,研究が,社会の需要に応じる必要性に迫られる.やむなしですね.

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