研究費(人件費含まず)

じわじわ頑張らねば.一応,論文自体は,なんとか確保していけそうだから,また変なことやります…
評価法がはっきりしないから,そのあたりから検討しないといけない.
反応開発も「変なもの」を仕込み中.もう少し考えないと.
少なくとも,過去の関連で想像可能なものは,捨て去らないと,あとから類似のネタに入ってきた研究者に対抗できない.
ほとんどやられてしまっている.

論文の長さが制限内に入っていないため,改訂…JOCは,わかりづらい.
テンプレートあったほうが良いのに.
Supporting Informationに回さないと,絶対に,文字数制限内におさまらないけど,どういう反応になるやら.

元学長は時間の問題のような気もするし,どうだろう…
広範囲に渡って実際に使えているのだし.

さて,casebookに書いていますが遠藤自身は,特に「日本の外に出るべき」とは思わない.
でも,出たければ出れば良い.どちらでも良い.人に言われたから出るようなものではない.
遠藤自身は,出てみても良いかな?程度には考えていたのですが(日本以外で教員),機会とタイミングの問題だった.
英語圏だろうがなんだろうが,行けばなんとかなるだろうという感覚.

ただプライベートのほうで,都合つかないなと感じた.実際そうなったわけですが.

日本のほうが,国内における研究競争は激しくない,資金繰りについても同様,PIになれれば楽だ,という,ぬるいことを言いたいのではなく,本質的な問題もなくもない.

資金がないと研究できないか?ということでもある.
できないけど.

日本は学生に賃金が発生しないため,簡単に比較はできないのですが,仮に賃金が発生すると仮定したとすると,20人くらいで人件費1億とか.
国外と似たようなことになります.

そのため「研究費が不足している」と言い切れないわけです.
十分かというと,十分ではないけど,人件費はかからない.それが日本の環境.

ノーベル賞の時期になると必ず「政府は研究費を増やせ」の単純な論調が出ますが,人件費かからないと考えると「出し渋る政府のせい」とか,適当には言えない.

一方で,では「企業から資金を得る」と言っても,基礎研究で資金を企業から得るのは,かなり難しいとも言える.
それを言い訳にしても無駄ではあるけど.

よく聞く話では,日本の外では「企業から研究費を得るための研究」が中心になってしまい,本当にやりたいことができない,ということです.
つまり,状況は,日本と同じとも言える.形が違うだけで,実は,似ている.
そもそも日本でも,たとえば科研費を得るための研究,となりかねないわけです.

科研費を取るための申請書の書き方や,研究内容に,結果的に,寄せていかねばならない.
実際に考えていることは,科研費などの申請書には,ほとんど書いていませんので.
書いても良いけどスペースないし「適当な事を言いやがって」という印象にもなりかねない.
その申請書を評価するのは誰なの?ということです.

政府が研究費を増額する,という方針に切り替えていったとしても,その申請書を評価するのは既存の研究者であって,大きなことやろうとしても,現実味がない,という言葉で片付けられてしまって研究費が得られない,なんてことは,十分に考えられる.
つまり,哀しいことに「現実味がある研究」に多くの予算が下りる.
ブレイクスルーとなるのは,だいたい「現実味がない,と常識に評価される研究」であることが多い…
ということで,常識的な研究の裏で,非常識な研究を少し進める,というのが現在の世の中ということになる.
でも,本腰を入れて取り組むには,リスク高いので,進展が遅い.

一方で,日本で,学生に人件費を払うような環境に切り替わるべき,と思うでしょうか.
これは,教員にとってのストレスになるかもしれませんが,もっと大きい問題もあります.
「学生のほうが耐えられない」ということです.
給与の支払いで学生にメリットありそうに思えますか?…給与を受け取るからには,さらなる覚悟を決めてもらわねば困るわけです.

…でも,研究者として素養のない学生を,ばっさり切り捨てられるなぁと,思ってしまいました.
それはそれで悪くはない.

一般的に,大学における教育ってどういうものか勘違いしているところもある.義務教育ではないのです.
それは高校から既に始まっている.
「その道で先がないと判断したら,引導を渡すこと」も,教員の役目であるはず.
なぜか?
その学生が不幸になる可能性が,かなり高いからです.

もし教員がとどめをさしにきて,強く反発するなら,自己責任で頑張れば良いんじゃないでしょうか.
頑張れるなら,それが素養というもの.
何を言っても,文句ばかり,改善しようとしない,頑張らない,努力しない,こういうのが「先々,不幸になりかねない」という人材です.
他の何かであれば,黙って努力できるのでは?ということです.ならば,ここにこだわらず,何かを探しに行けば良い.

日本の学生は「海外だと給料がもらえる,でも自分たちは,ただ働きだ」と短絡的に考えるかもしれない.
ところが,給料をもらうと,どうなるか,理解できているだろうか?
大半の学生は,研究室に配属できない.なぜか?…その対価としての十分な能力がないからです.

基本的に,会社と同じです.研究だと,もっとシビアかもしれない.
まず,配属の段階で選別がある.就職活動と同じ.
そして,晴れて配属できても,給料に見合う成果を出さないと,首があっさり飛ぶということ.
「成果を出さない,ルールを守らない,その他の理由で,来年度は契約を更新しない」という選択肢を,教員側がとれるのですね.

現在のように「卒業研究」とか,教員にとっては,無駄に感じるかもしれない.
どうせ給料を出すなら,知識や技術が,ある程度のレベル以上にある,博士後期課程に該当するような学生を集めれば良いのです.
研究室に配属可能になるまでは,一般カリキュラムで勉強してもらう.

こうなると,今度,困ってくるのは,日本の企業かもしれない.
今の日本では,修士課程で,一定レベルの知識や感性が磨かれた学生が,大量に,新卒で,研究・開発職として就職するのです.
ある程度,品質が保証される(人格面や精神面まではサポート不能).これは想像以上に,企業には,有益なことです.

会社の人間からすると,入社後に育てる,とか言うかもしれませんが,2年くらいは効率が悪い状況が続くことになる.
しかもSciFinderなどは使いづらいし,学術雑誌も,読み放題というわけにはいかない.
その企業の特定の趣向に仕事ができるようになっても,成長性や創造性という意味では乏しい人材になってしまう.なぜかというと,その企業における上限は,たかが知れているので.
フリーで成長させることで,就職後,予想外の展開につながることもありうる.型にはめて育てれば,型破りが難しい.

よって,基礎的な育成を大学の研究室に依存せざるを得ないことを考えると,「学生に給料タイプ」に日本が切り替わったら、企業は積極的に,資金援助を試みる必要がある.
供給される人材が,かなり減るからです.だってお金ないし…

しかし,企業は費用対効果に厳しいと思われるので,資金は,さらに,特定研究室に偏っていく.
偏るけど,人材輩出の絶対数が,そんなに増えるわけではない.
アメリカなどで,それでも構わない理由は,結局,世界から人材が集まってくるからかと.

日本のように,ある意味ガラパゴス化していると,人材を国内から集めることが基本となっている.
資金が偏って人材の絶対数が増えない展開になると,どう考えても,日本は困りますね.

となると,学生に人件費を払うという流れは,単純に日本に適用しづらいことになる.
そういうのを破ってでも「常に競争」とするなら,ありだとは思います.
でも「10年後スタートで」とかしないと,企業から資金を得るための研究に切り替えられないですね.

そして結局は「企業からの資金を得るための研究ばかりになって基礎が疎かになる」とかいう議論になるわけです.
基礎研究を政府がないがしろにしている〜とかいう議論を,ここ何年も続けているようですが,日本は,まだマシ?とも,思ったりするわけです.
または,世界的に見て,結果は同じ,ということになる.

研究費自体は,少しは増やした方が良いとは思いますけどね…常識に評価されない奇抜な研究に取り組む研究室は,研究費が少なすぎて,身動きとれない状況もあるので.
学生数が全員で3人であれば,そんなに苦労しないかもしれないですけど.

学生各学年1人で構わないなら,研究費が,ほとんどなくても,なんとかなるかもしれない.
研究内容は,かなり絞り込む必要あり.
それで1人ずつ確実に当てる.

しかし,各研究室が,それなりの人数の学生を受け入れないと,教育機関としては問題となる.
ということで,様々な矛盾と軋轢を生じながらも,現状維持が続くのです…

いきなり「研究費倍増します」とか,ならない限り.
研究費を国策で増やす!とか言ったところで,どうせ,特定の研究室に集中する.
基盤Cの金額が2倍,基盤Bが1.2倍,これくらいの感覚ならなんとか…?

大型研究費は増やしてもね…裾野を広げたほうが,よほど良い.
数打てば当たる.これは研究でも言えるのでは.

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