研究コスト

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科研費は近々に使用可能になり,ようやく気兼ねなく試薬が購入可能になります.まずヘリウムを買わないとGC-MSが動かない.TOF-MSのニードルは駄目になった様子だし…

3月と4月中頃は実験停滞.どうにかならないものか.

 

おおよその目的物デザインは終わったし,簡単なものは合成が済んでいますが…思ったように,ざっくりと目的化合物が結晶化してくれればなぁ…

結晶素人の薄っぺらい感覚から抜け出したい.今現在,X線単結晶構造解析装置の購入計画中.使わないと駄目なのですよ結局.有機系は,結晶を作ったら解析は丸投げ,ということも少なくない.

 

基本的な(さきがけ)研究パターンを確立して,学生に放り投げつつ,自分自身は少し反応開発にも回らねば.相当に放置していて,ほぼ進行していません.

おそらく今年度も,反応開発は立ち後れることだろう.惚けているわけではないのに手が回らない.

 

ということで「研究テーマの難易度と完結に至るまでの時間に大差はない」と言われていたものですが,本当にそうなのか,個人的にはわかりません.

つまり,難度の高い研究でも,安易な研究でも,最終的に同じような時間がかかる,とか.もしかして「結果的に同レベルの成果につなげる場合」というわけではなかろうな…

安易な研究を,インパクトある研究に昇華させるためのコスト,というものか.

さきがけネタは,期間内に色々なことがありましたが,いずれにしても妙に時間がかかってしまっている.実験を大量にすれば良かったのかというと,そうでもないだろうという結論です.現在進行形で,かなり悩み続けていますので.

結局のところ,どんなに悩んでも到達ポイントは決まっているのかもしれない.苦悩して研究するなんてスタイルが流行しないわけです.どうもスマートな研究が好まれますからね.

 

「研究に貴賤はない」か否か,いかがでしょう.ということで,アンケートでも.

研究の価値について

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ただ,インパクトにも2種類があるのですよね.いずれも重要とは個人的に感じますが…好みの問題もであるのです.

どちらかといえば

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まぁ,卵が先か,鶏が先か,という話かもしれないと思ったりもします.

最近は,だいたい「標的が決まっている」という研究が優勢です.有機化学は,特に微妙な位置づけにある.全合成は言うまでもありませんが,反応開発においても猛威をふるっているのが「不活性結合の直接官能基化(二酸化炭素など含む)」で,有機材料では「グラフェン系」「有機EL系」…というように,その究極的な結論へと至る紆余曲折に取り組んでいる.

ただ,実際に研究に取り組んでみると,そういった課題に取り組んでいる研究成果が自分の研究に役立つことが多い.そのため,特に良い悪いの話ではないのですが,一方的に課題解決型研究に大きく偏っている現状に問題があると思います.

 

一昔前は,どうだったのでしょう.現在では,そのインパクトが認識されている研究も,最初の論文は,それほどインパクトが認められなかった,という例が多いことはご存知かと思います.

「評価基準がないし何の役に立つかわからないけど,自分はこれが重要だと思っている」というものから,とんでもないものが出てくる,そう感じます.すべてが,そういったインパクトに到達するわけではないとも思いますが.

 

遠藤個人としては,有機反応開発は,個人的な趣味のレベルで楽しむものかなと.反応開発は社会的な実益をかねていますが,最近は特に社会要請に左右されすぎているのですよね.何度も言いますが,社会的に重要な課題に対する取り組みなので,一般的な有機反応開発の意義は高いのです,どんなものでも.たまに,本気で,どうしようもない論文も見かけますが…

ただ「課題解決型」に大きく偏ってしまっているのです.人類社会の負の側面を解決するという課題に取り組まざるを得なくなった,ということでもある.解決した暁には,確かに人類存続への大いなる貢献となる.ちなみに,すべて「コスト」で置き換えても問題なさそうです.

もっと俗な言い方では「課題が決まっていると楽」なのです実際.たとえば,二酸化炭素を有機分子骨格構築に利用する,という大義名分により,特に研究の意義を考える必要がない.そういう考え方で大学にて研究に取り組むのは,どうかなと思いますけど個人的には.誰でも認識している価値観を,講演の冒頭で述べる意味なし,ということと同じ.

 

社会要請呼応型に対する研究費の配分が多く,結局は「何に使えるか」という点で評価されてしまい研究費が獲得できない,という話を,よく聞きます.ただ,大規模予算でなければ「個人的インパクト」でも十分に研究費は獲得できる,という印象もあります.

研究者は元来,社会要請以上に,社会に価値観を与える側であったはず.という勝手な妄想のもとに研究に取り組みつつ,普通の反応開発にも携わりたいものです.余力があれば.

 

 

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