ジボリルメタン完結祭
不斉版を出してきましたね.不斉版は検討されていることを知っていたので,それについては「実験してくれてありがとう」といったところですが…ここまで時間をかける余裕は結局,なかったのです.それ以上に,モチベーションが個人的には出ませんでした.
最後の担当学生も無事に卒業しますので,実害はありません.
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja500029w
我々はHallが手を出してきてから,特に立体選択的反応への興味が削がれてしまいました.もともと,不斉版やってもなぁ…とは思っていました.
不斉共役付加でジボリルアルカン合成する,C-H結合ボリル化で合成する,不斉カップリングする,といったことに実際自分で実験をして「ただ何となく誰かの手法を自分の研究に適用しただけでは」という点に悩み,それほど進める気になれなかった記憶があります.
今,考えてみると,その「気持ちの悪さ」のような感覚は正しかったのかな,と.予想以上に次々に参入してくる人と競合すると「そもそも何を知るために,このアイデアを出したのか」という最も重要な点を自ら蔑ろにして,単なる「論文量産ゲーム」になってしまう.そんなことをしたかったわけではない.
しかし昔は,論文がオリジナル研究室から出ている限り,10年は手を出さない,ような暗黙の了解があったとかなかったとか.今や,倫理観も何もあったものではないと感じます.
もうこれで基本的なところは終わりですかね,ジボリルメタン系は.食い荒らされて疲れました.隙を見せると襲われる恐ろしい世界ですよ.
いかに先見の明があったか,ジボリルアルカンに関わる仕事を引用してアピールするとしよう.
我々は先に進むとして,これ以上,気にする必要はなくなるかと.あと1つ論文を出しますが.
同じことばかりやっている暇はない.
一般的に考えてみると,欧米系の研究者は,最初に一発が当たると1つのテーマを徹底的に続けるのですよね.これが凄い根性だと感じるし,自分には無理かなとも思わされる一方,なぜ他には手を出さないのかは理解できない.
上の不斉版を報告したMorkenも同様.
ある1人の研究者の論文を追いかけると,20年前と基本が同じ,なんてことは,少なくない.
少し変わった類縁体と思しきものが登場すると食いつきが半端ないので,飢えている感はあります.
正直なところ,遠藤の場合は「飽きっぽい」ということと「結果が出ると興味がなくなる」という良くない気質ゆえに,たとえばジボリルアルカンのように「反応が進行する」とわかると,それ以降の展開に,よほどの壁がなければ突破する気が起きない.反応が進行した時点で,知りたい情報は得てしまっているのです.
特に不斉化ですね.不斉反応開発に取り組んだことがない人はわからないかと思いますが,これけっこうしんどい.
不斉共役付加反応は最初から「不斉」ありきだったから良いのです.もともと不斉反応ではないものを,不斉にするというモチベーションが湧かない.なぜかというと,不斉化には,現代の場合,「特に明確な戦略があるわけではない」という致命的な問題があります.
とりあえず光学活性配位子を設計もしくは購入し,なんとなくモデルを組んで予想してみて,そのモデルで結局のところ影響を及ぼすのは「立体環境」に過ぎないので,思考停止に陥ってしまう.
良くない癖ですね.難度を上げていって研究が進まず厳しい視線を向けられているほうが,身にあっていて「研究やってる」と実感します.
「芽が出たので,インパクトはあるから,あとは惰性で続ける」がどうも難しい.
C&FC 2013にて,中国人も平然とジボリルメタンを使ってきているのは驚きました.
後追いしてきた人に対抗して頑張るほど落ちてはいない.
写真は,伊射波神社を参拝した先の,原生林まで進まずに引き返した地点.この先は好きにすれば良いでしょう.もう知りたいことはないので.
うまくネタが収束したということで,次の論文準備をしよう.いや,雑用しよう…
そういえば,あくまでも,反応に用いることはないだろう,ということで.