シンガポールNTUキャンパス

シンガポールのNTUを思い返し理科大を見つめ直そう…

ちなみに私立大学のなかで理科大の財務状況はかなり良いはずです.遠藤が理科大から公募が出ないか調べていた背景として,財務が強固だということを(下調べをして)ある程度は認知していたからです.こういう見方をする助教〜准教授は珍しいのかもしれませんが,金沢大学に移動する展開になったときに少し悩んだことが発端でした.

早稲田大学高等研究所での助教時代「独立研究室の運営なら」任期途中でも移動して構わない,という話になっていました.ただ当時は公募の数が先細り状態であり遠藤の任期が切れるまでに「独立研究室」の条件があるか予測不能な環境でした.ちょうどその頃に「天の声」が聞こえてきて金沢大学への移動を検討することになったのですね…なお金沢大学で公募は既に出ていた状況でしたが遠藤は「独立ではない」ということでスルーしていました.天の声により,そうも言ってられない状況になり…

独立研究室ではないので仮に金沢大学に移動しても早々に次の独立先を探さねばならない…これが問題でした(引越代がかさむという問題もありますが).まず金沢大学の研究室規模では学生は教員1人あたり年1〜2人の配属.探索研究するにはかなり不向きで,しかし当時の遠藤は探索せざるを得ない状況にありました.研究が停滞する可能性は予見できましたがそれでも回避し難い.移動先の研究室の状況を見ると「遠藤が結局は移動せざるを得ない」こともなんとなく察知.しかし公募の状況的に金沢大学に准教授として移動して「教育経験を積む(授業とか)」ほうがメリットがあると踏んで,しばらく研究内容が混沌とすることを前提に移動.つまりこの時点で研究を進める前提条件を探り始めることになった,ということになります…

当時は妙な過渡期で「独立研究室の准教授になるには授業経験が必要」とかいう非常に意味不明な条件がけっこうついていました.でも当時の助教では専門の授業担当できないのですよ.早稲田大学にて柴田先生に根回しをしていただき,それで少し授業経験を形式的に得たものの,一般的に求められているものとは少し違っていました.たとえば学内で助教から講師に昇進して授業を請け負ってから准教授という流れを,早稲田大学では踏めませんでした.講師のポストなかったので.そのため,かなり強引にでも他公募に捩じ込んでいくしかなかったのです.

どたばた金沢大学に移動したものの,問題は山積みでした.なかでも,環境や状況に大きく依存すると感じたものがあります.

遠藤に問題があったのは明白なのですが,数年後に他研究室からJACSやAngewなどに掲載された内容と同じことを幾つも検討しても不思議と曖昧な結果が続き,なんとなくそこで察知したものも「マイナーチェンジは自分にはあわない」のかなということでした.触媒反応などは不思議なもので「些細なことで再現性不能になる」ことがあるのです.些細なことというのは,用いる試薬や反応容器,実験テクニック,あとは絶対に自力でなんとかしてやるという意識,ちょっとしたことが反映されてしまう.

移動により混沌とするだろうと予想していたような現実に直面したこともあり,長期的に腰を据えて基礎の研究が可能な環境を探さねばならないと考えた結果,理科大の公募を見たとき応募しないという選択肢はなかった.こういうのは本当に難しいです.世の中,助教として多大な成果をあげていた先生方が,空きがないので講師,准教授に上がれない,しかし研究環境や家庭状況を考えると異動もできない.時間だけ経過していき50歳近くになりようやく准教授や教授になる.この流れでは,新しい取り組みは外野が思う以上に難しくなります.

無理矢理でも良いので理科大に入れないものか画策した遠藤は,結局のところ正攻法で攻める以外に選択肢はありませんでしたねしかし…理科大への異動に強くこだわった理由の1つは「もし金沢大で成果を出す方向でマイナーチェンジをしても40歳を越えたら家の都合も考えると異動困難」が見えていた.

あとは,理科大の財務状況により探索を続けて「成果が出ない間も」地味にでも研究を進めることが可能だろうと考えていたからです.科研費の基盤Bを最低でも当てないと研究室運営は困難ですが,研究環境が継続しないと零細研究者では科研費に欠かすことなく採択されるのは無理ではないかなと感じていました.東大あたりの学生が取り組んでくれるなら,彼らは能力云々以前に危機感のほうが強く,実験速度と当て勘は半端ないのでどうにかなる可能性もありますが…

理科大と東大などの学生の違いは「能力」あたりは決定打ではないと感じます…理科大に来て学生を見ていて感じるのは「卒研なのに基礎レベルがかなり高い」ということでしたので.違いは「精神論」というか,その些細なところが効いてきます.

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前ふりが長くなりました.理科大とNTUを比較するということですが,シンガポールの大学自体,数少ないですからね.日本のような乱立状態とは異なるので,その時点でかなり違いがあります.

シンガポールのNanyang Technological University(NTU)のキャンパスは広い.理科大の神楽坂,富士見,葛飾,野田,長万部をすべて合体させれば,同じくらいの敷地になるのですかね…

学生寮なども含めNTUは敷地内で生活を完結させることが可能かもしれません.研究に集中するなら,わざわざ繁華街などに向かう理由はありません.生涯そのような行動パターンというわけではないのだから学生の期間は研究以外に何もしていなかったというくらいが良いのです.

下のシャトルバスのルートを見ているだけで,なんだか広大な雰囲気があります.そういえば早稲田大学にもシャトルバスはありましたね…キャンパス間の移動に利用できます.理科大で葛飾や野田まで運んでくれるバスがあると楽で良いですね.でも利用者があまりいないか?

学食のようなところと,民間のレストランなどがキャンパス内に進出しているのが特徴でしょうか…最近は日本でも耳にしますがNTUほど多種多様といった感覚はない.理科大の神楽坂キャンパスでは規模の問題で民間企業に利益が少ない,または単に飯田橋から市ヶ谷近辺の店を利用すれば良いとも.

飯田橋から市ヶ谷にかけて,理科大関係がひっそりと所有する不動産が増えてきている気がします.公道だらけで神楽坂はキャンパスの雰囲気ありませんが,今後どうなっていくことやら.

下の写真のようなNTUのキャンパス風景…なんというか,これだけ見ていても広大な雰囲気は出ています.国土は狭い,しかし大学のキャンパスと建物は大きい,そんな印象.

建築物は…細々した感じではない.もう少し良い写真ないものか.真新しくもないが全体的に整備されています.シンガポールを震源とする地震がないということなので建築物の基準は日本より緩いのかもしれない.となると,築何年くらいまでいけるのやら.

NTUの機器センターは,さすがに理科大の化学系機器センターとは規模が違う印象.しかしこれも今から15年前くらいには,ほとんど整備されていなかったということですね…確か.N坂先生がシンガポールに向かってからの立ち上げに近かったと考えて良いのでしょうか…

下のように,400 MHzのNMRなどの数が半端ない…写真の左側と,右側にも同じようにNMRがタケノコのように生えています.そういえば名大の野依記念物質科学研究館のNMRも印象深い.遠藤は野依研でポスドクをしていましたが,研究室のある野依記念物質科学研究館のワンフロア(5階だったか6階だったか?)に600 MHzとか数台設置されており,なおかつ使用者数は多くはなかった(10年以上前の話ですが).誰もいないフロアでNMRを測定した記憶が今でも蘇る.予約も空きだらけで好きに測定していました.そのフロアは「化学科機器センター」とは確か違います…それは別にあったはず.

野依研では「結果的」には良かったですよ…内輪を話せませんが色々とありました.中に飛び込んでみないと何が起きているかは本当によくわからないものです.こんなこと本当にあるんだ,という気づきがありました(研究とは関係ない).遠藤はB4の学生と二人で組んで検討していて,その後にD2の学生も合流しました.非常に良かったのは,そのD2の学生と遠藤の相性が意外と良かったということですね…彼が合流する前から少し話をしていましたが合流後にも色々と話をして,それで価値観がある程度,固まったというのが良かった.ほどなくして彼が「反応後にキラキラ光るものが見える」と教えてくれて,そこで「ニトリルの室温条件での水和によりアミドが生じている」ということに気づきました.室温では無理だろうと思っていたので半信半疑でスペクトルを集めてもらってアミドであることが確定,そこから進展しました.あの研究の元ネタは,遠藤が助教で検討しようと思っていたものだったのですよね…遷移金属エノラートを塩基性の遷移金属錯体を用いてやってみようと.それでRhOH錯体を使うというのも確かD3あたりのときに考えていたことでした.ちょうど野依研でのテーマがアミン系配位子を用いて金属に配位したNH2の酸性度向上を利用する触媒反応ということで,それで自分のネタも切り崩してRhOH錯体でaldol型反応をジアミン配位子で制御しようと考えたのです.どの金属を使うとか指定がなかったし,どうにもとっかかりのない状態でしたので,とにかく何かを引っ掛けるつもりでやりました.野依研D2の学生は「RhOH錯体でニトリルのaldol型反応やってみようと思うけど,つまらないっすかね」みたいな感じでした当初.やってみると反応溶媒中に存在する微量の水により水和が室温で進行したという流れです.

下図のように,NTU化学科の実験室は十年ほど前でも壮観です…あちらは「海外から大学院生をリクルートしてくる」というレベルですので,設備面をしっかりしておかないと来てくれない可能性ありますから…理科大とは状況が違います.シンガポール現地人は「勉強できるけど新しいものを生み出す力がない」とは当時から言われていた.今でもそう言われている気配ありますが.シンガポールは人材を国外に求めているということになる実際は.その教育システムが良いのか正直よくわかりません.小学生から人生を決定づけるようなイベントがあり病むらしいので.

いまや中国も強烈な学歴社会になりつつあり勉強ばかりしているとか.韓国は昔からそうだし,シンガポールも然り.おそらく世界的に「学歴社会」は自然な流れ.つまり「生き字引」のような人材が増えるのだろうなとは思います.AIが加速度的に発展する現代において「生き字引」なんていらない気がしますけどね…既存の知識からはイメージできない「価値がなさそうな発想」が廃れていくのかもしれない.既存の知識では「価値がない」というのは,むしろ褒め言葉ではないでしょうか.新しい価値につながるかもしれないのだから.

上図のように,NTUではその他の機器類も,大部屋にずらーっと並んでいる.理科大も本来は「化学系・薬学系・生命系」をまとめてしまえば良いのに,来年度に工業化学科が神楽坂から葛飾キャンパスに移転です.神楽坂が化学科・応用化学科.葛飾に薬学系と工業化学科.野田に先端化学科・生命研.なんでバラバラにしたんだろう…おかげで装置の使用が少し厄介です.たとえばTEMを本格的に使用するには野田にサンプルを送る.蛍光X線とか粉末X線については神楽坂設置のものが古すぎて使いにくい…しかし他キャンパスは依頼分析を受け付けてないとか書いてあったような…とにかくまとめたほうが良いのは明白なのに,バラバラになってしまっている.化学系がまとまっていれば講演会も人が集まりやすいし悪い事は何もない.

個人的に「設備はまとめる」けど「学科イベントは別個」とすべきだと思うのですよね.各学科の考えを完全にまとめることは極めて難しく理科大の理学部化学系3学科で話がどうにか通るくらい.それでも「別々だったらなぁ」と感じることが少なくない.

学科の人気を考慮すると神楽坂から動く事は得策ではないと思います…なぜか学生サイドには都心が好まれている.何にも関係ないのですけど学業には.

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以上,NTUを見直していると,理科大の化学系が散開していく現状と対照的です.理科大の機器センターの運営は機器センターの人員で本来は動かすほうが良くて,教員が運営する現状も少し不思議…早稲田大学の化学系では機器センターに専属の技術者がいたはず.いや色々と理由は見え隠れしますけど,キャンパスは「化学系」「物理系」「数学・経営・建築系」とかまとめられないものですかねぇ…そうなると化学系は野田に飛ばされかねない?

理科大には理科大の良さがあり,特に学生への教育については,この体制を維持できれば良いですね…少し微妙な動きがあるのが懸念点ですが.