先読みして動かねば…

これは研究に限らず.

先日の東大の入学祝辞で「努力が公正に報われない社会」ということで話題に上がっていますが,この扱いは難しいところです.
色々ありますが…男女差,人種差,収入格差,障害などなど.

しかし,明らかなことは「言われなければ気づかないようでは困る」ということ.
障害などは,対応が難しい典型ではある.これが最も難しい.

自分で気づかねばならない,という前提にあると思います.
なぜかというと「不公正であることは,誰が見ても明らか」な状況が続いてきたからです.
遠藤が小学生の頃の時点で,そんなことは,はっきりしていた.
小学生の視点でも,色々とおかしい,ということに気づくレベルです.

東大に入学するような人なら,そういう不公正な展開も見越した上で,勉強をした…のではないかとも思う次第ですが,それはわかりません.

自力での気づきは必須か?ということですが…
気づきも含めて,能力の1つと考えても良い.

中学,高校と,そのような「努力が報われない社会」を教えるかというと,それは怪しい.
たとえば受験勉強しているところで「努力は報われない」なんて話をするだけで問題になりかねない.
示唆することはあるかと思うので,それを自身に適用すれば,わかるはず.

大学入学時に,これを伝えることに,十分な意義はあるでしょう.
ただ「今さらでは」と感じた学生も多いはず.
「初めて意識した」という暢気な学生が東大に多く存在するか?というと…

身にしみるのは,これは自分で周囲を見て気づかねば,対応できないということでもある.

不公平だと気づくきっかけは,いくらでもあるのです.
わりと見ないふりをしますが.
それが自分に降り掛かると想像しないので,現実感がないかもしれない…
男でも,不公平だと思わされるケースは,多々ある.
しかし,その渦中に自分が立つことになると,大半は,思わないものです.

結論として…
「社会が公正ではないことは小学生でも気づく」
「気づかないようであれば,いったい何を見ていたのか疑問が残る」
「その不公正な社会に対し,他者を慮る行動が求められている」

ということにはなりますが…

遠藤自身は,結局,不公正であることを察知して,それに対応できるように動いただけで,
それを正そうと考える大きな器ではありませんでした.
まぁ小学生の発想ではね.

「不公正」を正すことは,極めて難しいですね.
残念ながら,自分の身と,手の届く範囲を守るくらいしか,一般人にはできない.
公の場では,手の届く範囲さえ守れないことが多いし.
政治家にでもなれば,少しは話は変わりそうですが…?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です