時間

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2013/12/17

が欲しい.ブログ書くのも数日がかりになってしまう.地味に実験はするものの,1つ1つ仕込むので精一杯です.

特に画像加工はしていませんが,なんとも異世界感のある写真が撮れました.場所は伊勢神宮.

1つは投稿直前.年末に審査戻ってきても対応できないので,年明けに投稿予定.

次の論文の条件検討も収束してきました.欲を言うならば,基質の数を増やしたいけど…けど,余白がない.審査員に増やせと言われても,あまり入らない.そもそも,最近の「基質の例が大量」という傾向は何とかならないものでしょうか.

フルペーパーでも通りそうな論文が増えました.代わりに,フルペーパーが減った気もする.

会議が終わり,〆切ギリギリの論文審査を終えたところです.

学歴とは.仕事に就いたら無意味になる.残るものは「努力」へのアプローチ法と「課題解決能力」です.

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/131215/ecd1312151201003-n1.htm

少し話はそれますが「日本の大学では本当の学問が学べない」という旧帝大~早慶出身者の親,という記事.本気で考えているなら,世界のどの大学に在籍しても,おそらく本当の学問,とか考えているものは身に付かない,というのが個人的な考えです.

日本の大学が悪いのではなく「厳しく育てようと試みると大半が卒業できない」という学生に実際は問題があるのです.僕も途中まで,そうであったとは思うのですが.半分が卒業できなくても良いというなら,日本でも形式的には改善が見られるでしょう.

ちょっと語弊があるとも思ったので,追記(2013.12.18)しますが,「卒業不可能な学生を大量に生み出す」ことを許さない,日本のシステムの問題とも言えます.しかし,ぬるま湯のなかで「これで良いのだろう」と考えてしまう学生の,その根拠のない確信は,明らかに個人の資質によるものです.

環境要因を言い訳にしても,まったく意味がありません.自分自身の改善にはつながらないからです.

そもそも,現状で良いという慢心が駄目だということです.常に「現状では満足してはならない」と自分自身に不断の努力を課さねば,成長などしません.向上心に満ちていても,うまくいかない世の中なのです.

ただ,おそらくは,学生から見た環境要因によって成長するという発想が許されるのは,高校生まで.いや,もしかしたら義務教育である中学生までしか許されない,という考えをお持ちの方もいらっしゃることでしょう.

大学に進んでまで与えてもらおうとの感覚が日本人に根付いている証拠かもしれない.

大学への入学時点~卒業研究直前までなら,上述のような発言をしても問題はないかもしれません.しかし,旧帝大~早慶クラスの卒業者が,こんなことを言うようでは,ただ自分が能動的に動けなかっただけと主張しているように感じてしまう.

すなわち,自分はただ勉強ができるだけ,教科書を覚えることは得意な人材だ,と無意識に言っているのです.確かに,そういう高学歴者は多いと社会では揶揄されていますね.

日本の大学では学べないのではなく,単に「卒業したのに能動的に考える意識が芽生えていない」ということではないでしょうか.そんな自分になってしまったのは,日本の教育システムが悪い,という.

確かに一理はあるのですが,日本の教育システムが悪いから仕方ないだろ,なんてことを言う人間は,どのような環境でも似た結果になる.学問なんて,誰かに「やり方」を教えてもらうものではないのです.

僕は「好奇心を育てることが大切」とも思わない.人間は基本的に好奇心を何かに対して向けるもので,その「何か」に気づくことが重要.それが実益に結びつかないから,社会問題と化しているだけでは.

たとえば大学で専攻している領域は,強い好奇心の対象であるに違いない,という思い込みがある.実は,そうではない可能性もある.

環境が自分を定義付け,勘違いしたまま進学を続け,思ったような自分にはなれなかった,そういう基本的な問題であるかもしれない.

極端に言えば大学では「自分で考えろ」と教えることがベストです.しかし,それでは「詳しく教えてもらえないから何したら良いのか」というパターンに陥ることでもある.

となると,最近の「ゆとり教育は…」とか,言えたものではありません.

http://endorg.secret.jp/index.php/news/archives/38

大学では,知識遊びではなく,何故そうなるかという本質的な疑問について,誰かから解答を得るのではなく自分で考えることに意義があるのです.それは既知の事柄でも良くて,自分で考えて納得したとき,思考力になるように思います.

最近は特に,ネットで簡単に「答え」が見つかるので,考える(妄想)という作業をしない学生は,かなり増えているはず.基礎的な事象に対して考える作業ができない学生は,将来,苦しみます.課題解決法は,自分で妄想して生み出すのです.

優秀な成績を修めて悪いことなどありませんが,教科書や先人が語る内容を飲み込むだけだと,上述のようなコメントが増えてもおかしくはありませんね.

僕は大学での成績は中程度でしたが,勉強に非常に苦しみました.知識競争なら,かなりの方々に負けます.

どこで躓いたかというと,教科書には「何故そうなった」の本質的なところが,かなり抜け落ちていて,自分なりに納得できなかった,というところ.

それが虫食いのように増えてしまい,よく理解していないのに,与えられた知識で解答をして乗り切る,という作業に病み気味でした.実際は何が起きていたかというと,抜け落ちた部位を妄想して補完する力がなかった,これに尽きるのです.

というように「本物の学問」とやらは,多くの大学生には厳しい現実を見せるのかと思います.そんなことすると,日本の大学卒業率は,かなり下がるはずです.しかし,そのような高い障壁になる役割を大学が担うべきなのです,本来.

記事の最後のコメントが結局のところ,世の中は学歴で生きて行くわけではないことを示しているわけですが…

起業しても10年後に生き残っている割合は少ないので,こういうコメントを残している人が,10年後も同じことを言えるかが重要と思いますけど.

ただ,学歴について考えることが悪いわけではない.だから「今現在の自分が成功した気分になっている」ので,学歴が心のよりどころという人間が「かわいそう」とか,それは違うのではないかな.他人に哀れんでいただくようなものではありません.

人間の本性は自分が弱い立場になったときに出るものです.うまくいっている間は,どうとでも言える.

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