射幸心一直線

KC4D0031

2013/12/20

 

来年度の新人に提供するネタの足場固めをしております…

ようやく,さきがけネタの筋が通りそう.筋が通るだけです.いつも通りに横道突入中.

綺麗事は前向きか後ろ向きか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yokoyamanobuhiro/20131217-00030713/

いろいろコメントがあり,より安直な綺麗事を肯定する意見もありますが,正直なところ研究業界にて綺麗事では先がない.でも,綺麗事は絶えません.

一般的には適材適所,棲み分けさえしっかりできれば良いでしょう.綺麗事を肯定する人は,対極的な人を巻き込まず,逆に,綺麗事を否定する人も,同様に対極的な人を巻き込むべきではない,はずですが…

耐えられない人は逃げれば良いのです.

綺麗事で大成するなら,誰でもします.そんな楽なことはない.楽なら誰でも大成するが,現実的に,そんなことないことから,綺麗事が成立するには条件があることになりそうです.

健常でありながら最初から綺麗事を吐いている人間ほど,人材としては胡散臭い.甘やかされて育ったか,無知か,本当に何も考えていないか,といったところかもしれない.病気の人は仕方ないです.

無理でも頑張るというのは,ほぼすべての人にとって「努力目標」なのです.実際に「無理したケース」なんて,ほぼない.

本当に無理なら,死んでしまう.そこまでしなければならない環境を回避するためにも,子供の頃からの継続的な努力は重要です.極端な無理強いを将来課されないために,少し嫌なことを子供の頃から続ければ良いのです.その積み重ねで,仕事で唯一無二と成り上がれば良い.

つまり加減の問題であり,同時に人間はどうせ「無理」などできないけど,低い目標を設定したら人間はさらに怠ける生き物だから,高い目標設定をしなければ怠惰な世界になる,という結論であった.

競争を放棄した人は,激化する競争の前に歯を食いしばっている人間が,国の経済を支えていることを忘れないようにして欲しいものです.

黙っていても,公共利益を受けることができる,わけではない.普段,我々が利用しているインフラ,単なる道路でさえも,あって当然だと考えているかもしれませんが,誰かが作るから使える.

それは何らかの競争の果てに間接的に得られる利益のもとに成立しているのです.

しかし「やりたいこと」というのも射幸心を煽りますね.多くの人間が「やりたいこと」は,どうしても「自分にとって満足できること」になってしまいやすい.

そういう「楽」を追及するようなアプローチは誰にでもできるので差別化にならず,そして埋もれてしまって,満足も達成感も利益もない,なんてことになってしまう.

この手の「射幸心」を煽るフレーズは,有機化学にも大量に登場します.詐欺だと思ったことは何度もあります.数えられる程度では済みません.

つまり「効率が良い」とか「環境に優しい」とか,確かに実の伴う成果もある一方で「何を言っているのか」と問いただしたくなる研究など大量にある.ありすぎて疲れる.特に後発隊の言っていることは,ただ射幸心を煽られて後からついていってしまっただけ,と思える.

そして若手研究者は,なぜか,そういった射幸心に擦り寄ってしまうことが多い.「この点は明らかに駄目だろうけど,都合が悪いから無視してしまおう」という無意識が蔓延していると感じます.

あくまでも「将来への投資という前提」としている論文もあるので,射幸心を煽っているだけではないかとは思いますが.

年内の授業が終わりました.でも,あと一週間くらい,雑用が続きます.

雑用が終わった頃に一発実験で,うまくいくと良いなぁ.実験数が少なすぎて情けなくなってくる.条件検討している余裕などないので,どうにか一発当てしなければならない,すると必然的に自分で処理可能な実験は限られてしまう.

研究大学と少しでも言いたいなら,事務ができる雑用は教員にやらせるべきではなく,少しでも研究をサポートしてもらえないものか.

ドクターXではないけど「教員でなくてもできることはしない」…とか言っていたら,仕事が回らないな.それが問題だ,ということで,自分を納得させる数少ない道を目指して頑張ります.

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