アイデア大小
家から歩いて5分くらいの場所にある川で飛んでいる蛍の写真.鮮明に撮影するには高性能カメラが必要でしょうか.
2年前と比べて,蛍の数が減ったような気もします.
ビッグアイデア不要?…個人的には,大きなインパクトを持つネタが浮かんでくれないものか悩んでいます.
http://wired.jp/2014/06/10/hotbiz/
目の前の興味に対する研究は誰もが取り組むので,最終目標に設定していませんが,一方で,普遍的な課題に対して何となくブレイクスルーを思いつくほど冴えているわけではないということでもある.思いつきでブレイクスルーを達成したいものです.
それなりに筋を通します.実際問題,仮に研究室を運営する場合にはインパクトだけではなく,一貫性も必要になるでしょう.しかし,普遍的な課題を毛嫌いするだけでは見えないものもあります.
日常的に出ては消えるアイデアは,些細なものばかりです.その些細なものから研究が進むので,壮大なスケールでアイデアを出す必要はないし,そんなことしていたら成果が上がってこない.しかし,何らかの夢は必須でしょう.
よくある価値観では夢がないので研究する気も起きない.目の前にある有用性に対するアプローチから1歩ずつ進むか,数十年後に到達しているであろう何かに向けて進むか,難しいところですね.
しかし何にせよ,なぜやるのかわからない,といった発想自体が,言い訳に過ぎないのですよね.これは子供でも大人でも同じですが,大人のほうが手に負えないかもしれない.
子供が勉強をしろと言われて渋るのは,単純に悩むという作業がストレスだからと思われます.
大人も同様ですが,今度はいかにやるべきではないかの理屈を並べ始める.実際は,やり遂げる自信がないからだと思われますが.
ということで,特に学生の段階で理屈を並べ始めたら要注意です.別に誰かが困るわけではないのです.理屈を述べている自分が困ります.
課題に取り組まない,という選択をするとき,成人していると「単に嫌だから」では通らないことが増えます.臆病で逃避しているけど格好が悪いので理屈を並べて正当化していることが多い気もします.誰しも自己保身は避けられないけど,余計な粉飾で逃避癖が身に付かないようにしたい.
何かに対して「やる意味はないだろ」と思った学生は,その考えを改めて「意味がないと思ったものから逃げている」と思えば成長する,のではないかと個人的には思うのですが,どうでしょう.
何らかの発想は大小関わらず吟味することで,道が開けるはず,ということで,頑張りましょう.