回顧録1

どうでも良い与太話です.

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そういえば,よく「結婚したら幸せ太り」とか言いますけど,どちらかというと「子供が生まれて10年くらいは太るリスク高すぎ説」を推します.

息子殿,気分屋で食べたり食べなかったり予想がつかないのです.そして,結構食べ残りが発生する.それを処理して食べまくっていると太ります.本当にバカにならない.勿体無いとか言っていると自分の健康に問題が生じかねない.

我が家では「ザンパンマン」と呼ばれている…いやだって残すんですよかなり.

作る量を減らし気味ですが,もっと減らした方が良い.親が食べて太ります.

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現在は,だいぶ歩き回っていて「1日18000歩」くらいに達していることがあります.毎日継続したいところですが不定期ですね…3日連続で15000歩を超えることもあれば,そうでもないことも.

自転車を使わない方が健康的に歩数を稼げそうではある.また痩せていかねばならない…いや,極端に太ったわけではないのですが.

元が65kgくらいだった気がしますが67kgくらいになり,これは怪しいという感じです.確かに「少し違和感が」ということもあり.

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あと少しでひと段落して研究が進んでいきそうだなぁ…という油断に足元をすくわれそうですが,ここまでやってきた経緯,もっと初期の初期あたりの話をした方が参考になるかなと思い,小学校あたりの頃から思い出してみます.

自分自身は全く目立ちませんでした.

小学生の頃は迷いに迷い,なおかつ面白くない自分をどうにかしたい一心で何か開花しないかと試みるも,ほとんど悪あがきになってしまう.埋没気味だしいじめられるし踏んだり蹴ったりでした.

今でも特に積極的というほどでもないですが,小学校の授業で挙手なんて一度もしたことないのです.個人的には理由があり「そんなことして何の意味あるの」が本音なのですが「単に怖いだけでは」というのも実際かなぁと客観視しています.

「そんなことして何の意味あるの」については他にも現れていて,習い事関連も結局はそれでやめてしまう.遠藤は体格はひょろっとしているのですが,運動の中で水泳はかなりできる方でした…小学四年生くらいからですが.それまでは水泳を習っておらず小学校でも泳げず大変に苦労して,そこで近場のスイミングスクールに通うことになり確か15級くらいスタートで数ヶ月で1級まで駆け上がり意外と適性があったのかもしれません.

その上の「特別強化指定選手」みたいなものがあり,その条件として個人メドレーでの規定タイム突破と,あとなぜかダイビングとかやらねばならず,そこで完全に萎えました.規定タイム突破は良いとしても,ダイビングやら飛び込みは,ただプールで泳いでいるだけではどうしようもない.

ちょうど当時,そのスイミングスクールの1つ年下に追い回されるようになり,ストーカーばりに家までついて来ようとするため完全に辟易して「強化選手に指定されて何の意味あるの」と重なり振り切るためにあっさりやめてしまった.

他の習い事も大半は「これ続けて何になるんだ?」で萎えてやめてしまう.

この癖は現在も残っています.わかりやすいのが学会発表での質疑応答で,質問する気になれない.よほど自分の研究の方向性に絡んでいないと「質問して何の意味あるのか」となりますね…発表者が学生であれば学生の勉強になるかなということで質問することはありますが,重箱の隅を突くような質問して困らせて何になるのとも…対応能力を磨く意味は確かにありますけどね.

ただ「何が自分のためになるかわからない」ため,学生の方は積極的に質問をした方が良いでしょう…大学教員として残ることを考えると,自分が興味を持つものを徹底した方が質問よりも重要であることは間違いないのですが,大学教員になるのはマイナーです.

「結果が分かっているから意味ないか」と萎える傾向にある遠藤が質問しているときは両極端なことが多いです.ほとんどのケースで回答が予想できてしまうので「意味ないかもしれない?」となるので…よほどムカついているときか,よほど自分のことしか考えていないときです.学生の練習になるなら質問しても良いかなぁという気まぐれも確かにある.

ムカついているというのは何かというと「とにかくひどい博士論文発表」などです.

博士として「すごいなぁ」と感じる場合,わざわざ質問なんてしません.いや絶対に質問しろと言われたらしますけど…素晴らしい発表に質問なんてしたって素晴らしい反応が返ってくるだけです.ただ返答内容が大体予想範囲内.発表内容が素晴らしいと中身が理解できるので質問を発表者に向けなくても自分の中で昇華して回答まで想像できる.これで何で質問せねばならないのか自分にとっては意味わからないわけです.

一方でひどい発表で避けられないのは「博士の学位を審査するとき」です.本音では「え?これに学位を出すつもり?予定調和で?」と非常に憤りを感じており,つまり予定調和なので学位を出せないような展開にはならないわけです.しょうがないので最後の抵抗と言わんばかりに遠藤は質問します…でもどうせ落とせないのです.

自分のことしか考えていないケースはわかりやすいですが,本来,質問とは自分のためにすべきということになります.自分のテーマに応用できそうなポイントを見つけたときです.

これも少し問題があり,自分のためになることが分かっていても,あえて聞かないことが多いです…会場の全員が感づくリスクを避けたいということで.ポスドクから助教の初期は特に警戒していました.自分が取り組もうとしていることが他者に少しでも漏洩することを回避するため質問は最低限に済ませていた.

ということで「聞いたところで何になるの」については質問する気力が出なかったりする…駄目ですねぇ…改善していこうと思います.

それを言うなら予定調和で博士学位を取るケースも「聞いたところで通ってしまう」から聞く意味ないということになりかねない.

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遠藤が学会にもう少し積極的に乗り出すのは2〜3年後ではないかと考えています.45歳になってしまうな.

研究テーマで少しずつ「やってはいけないもの」を潰していっているところなので,ほんと時間かかります.普通に金属と配位子混ぜて基質の針の穴を通して変換反応やろうとか,全く興味ない…となると,難しいのですよね.普通に配位させる配位子骨格をいじってみたり,自分でやろうとはどうにも思えない.確かにそれでブレイクスルーもありうるのはわかるのですが.