博士〜アカデミックキャリア有資格者の減衰?
知人に聞いても「質の高い博士」が極端に減った様子です.
さらに,大学教員を目指す人も,意外にも減っているような気配がある.
一時期「博士が量産されすぎた」と言われてきました.
もう10年以上,言われています.まだ言うのか?というくらいに言う.
つまり,博士が多いからとか,受け皿が少ないから,とかいうのは言い訳にならない.
多いなら,競争率が上がるのは当たり前で,それを見越して努力が必要です.
昨今は,博士進学を敬遠されている気配はありますが,そもそも,それが問題と言えるかどうか.
個人的には「チャンス」としか思えないですが.
「質の高い博士」とは何なのか?
よく「「行き場を失う博士たち」とか,記事が出てきます.
やむを得ない状況で,就職先がなかった,というケースは確かにあるでしょう.
一方で勘違いしたまま博士を志望する人が,予想以上に多いのかなと感じさせられます.
どういうことか?
「自分が進めたい研究,進めている研究が評価されないと…」
「金になる研究でなければ評価されない…」
こういう考え方が大半を占めている気がします.
何が求められているかというと「自分の研究を認めさせる」ということに尽きるのではないでしょうか.
攻撃的に進める必要が出てきます.
売り込みが苦手だという現実から目を背けているように思えます.
いかに「商品が優れている」としても,プレゼンまたは広告が効果的ではないので「商品が売れない」ということになる.
それを「他人は理解してくれない」「理解できない研究」「他人が受け入れる余地を作っていない」という,ほとんど他人の責任と言わんばかりの発想では,どうにもならないでしょう.
教員になれない,就職先がない,と嘆くケースでは,なぜか「受け身」が多いように見て取れます.
実態としては「他人に評価される」ということになりますが,それは表向きです.
裏では「自分の研究を認めさせるために,どうすべきか」を考え,その道筋を考えねばなりません.
つまり「自分が好きな研究を進めて論文にして,その内容が誰かに評価される」ということを待っていたら「行き場を失う」のは確実です.
残念ながら「同人誌の中から能力のある人がいないか探す」といったことを,この界隈は誰もしません.
自分という商品を高く売り込めない博士は,必然的に,淘汰されてしまいます.
つまり「高いものを」「高く売る」ということが必須です.
「安いものを」「高く売る」ことは,かなり難しいです.
まず前提として「売りものがある」ことが必須で,この売りものを作るための努力は,博士になる前から「仕込み」をせねばならない.
この仕込み,創意工夫,意志,根性がある = 質の高い博士
と言えるのかもしれません.
「売りもの」とは「実際に金になる」という意味ではありません.
そんなこと言い出すと,多くの人が,大学教員なんかになれませんので.
大学教員は,そのままの意味で,その性質上,後世に教えていかねばなりませんね.
その力と実績があるかどうか,そこに「研究成果」が織り込まれるだけです.
その研究成果が金になるかなど,誰も予見できません.
つまり「金になる研究ばかり日本で求められている」は,実は嘘なのです.
遠藤なんて,金になる研究成果なんて1つも上げていない…いや,そういえば,市販品になったものも1つ2つありますが,たいしたものではない.
「価値ある売りもの」を準備できない.
「価値ある売りもの」を高く売れない.
こういった博士たちが「金にならない研究は駄目」と言い訳をしているに過ぎない気もしますが.
その嘘を,世の中に信じ込ませることに成功した.
いったい何者の所業なのかなと,いつも思わされます.
上記のようなこと書くと問題になるのかもしれません…
依存心が強い博士は,商品価値としては低い.
人間は何かに依存する側面が必ずあります.ただ,それを言い訳にしてはいけないのです.