総合論文脱稿か

運動会でした.
最初は大人が多いせいか怯え気味でしたが,少しずつ慣れてきて,最後は大はしゃぎしていました.
よほど楽しかったのか「たいそう いく」と翌日は繰り返していましたが…

完全に,子どもファーストになった遠藤です,はい.
仕方ないですね,もう自分自身に余裕がないのですよ,プライベートでは.
なお,仕事は別問題.

一般的には「育児に奔走する母親」「表面的な育児で口先介入する父親」という組み合わせですが,我が家は反転気味です.
こちらは「いかに自分と子どもがストレスなく過ごすか」を中心として算段たてているのですが,それを崩されると困る.

結論からすると,本質的に育児をする人間が日本の古来から言われる「母親」という存在で,表面的であれば「父親」という存在になる.
これを互いに納得しないと厄介です.
あくまでも「古い価値観で」というところで,両親ともに折半して育児しているなら,関係ない話でしょう.
これはよく言われますが「子どもを生んだから育ての母親にもなる」というわけではないのが実際かと.

遠藤の場合「イクメン」という表現は,育児に関して,完全に男がバカにされている証だと思っています.
なので,そのように呼ばれたくないですねー.

一応,総合論文を書き終わった,ような,気がする…本当に大丈夫かコレ,と論文は常に感じるわけです.

そもそもこれ,本当に客観性あったっけ?という点などを再確認し続けると,もうきりがないのです.
引用先が理解不足,という可能性もあるだろうし.それを言い出すと,すべての客観性が疑われることに.
自分の使い方が間違っているような?…これも気になって仕方がないです.
こういうことを考えて悩んでいると,論文とか,一切外部発表できないという罠.

そう,論文を出さなければ,突っ込まれることは絶対にない!(内容については).
つまり,家から出なければ,交通事故に遭わない,と言っていることと同じような…

これまで論文公開後に,内容について突っ込まれたことなかったので,大丈夫だろうというところとは別に,これまでの論文には,そんなに触れていない内容も,けっこう書いています.
触れたことが少ない内容については「サポートデータだから正確性は気にしていません」という感じで処理しています。
不明瞭な点が多いのは事実なので,仕方ないです.そこまで説明可能なら,研究しなくて良いでしょ,とか思ったりします…

実際に掲載されるまで改訂作業あるかと思うので,とりあえず学生に回して読んでもらいます.
学生にも突っ込まれかねないのですが.

6月に入ったので,細々した学務と同時に,普通の論文を書き始めます.
本格的に,次の屋台骨はこれだ!というほどに強い成果は,まだ先になるかなと思うものの,OrgLettに掲載されるようなオリジナリティある論文も,大変なのですよ.
JACSとかAngewにガンガン掲載されている研究室に所属している,恵まれた学生には,理解できないかもしれませんが.

それを恵まれていると見るか,プレッシャーと見るかは,別問題かもしれない.
遠藤が学生の頃は,それはそれは,とにかくM1からD3まで,ずっと憂鬱でした.
今もわりと憂鬱ではあるのですが,ボスがいないと「こういう研究領域の中だけで」という束縛は一切なくなるから,色々と手を出せます.
少しずつ手を伸ばさないと,何やってるのか,よくわからない研究室になってしまいますが.

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