利己的な研究者
軽い論文を投稿.過去の人間に,本当に検討していないのか聞きたいくらいの内容です.
これくらい,よくありそうなものですが.
次の論文は何だろうな…年内に投稿できるのだろうか…
取りかかりたいものは多くあっても,まったく手につかない状態.重たいものを始めると論文は出ないため,バランスの問題かと思われます…
どうにもならないので,どんどん絞り込んで小さくまとまってしまうのだろうか.
青色 LEDのノーベル賞について,色々な意見が飛び交っていますね.そういう,なんというか,色々な意味で議論を巻き起こす熱いトピックだと確かに感じます.
結局,細かい発言内容とか事実関係とか,そういうものは,今回に限って是非があるわけではないと思うのですよ.
大抵の場合「実はこうだった」とか「貢献度が高かったのは誰」とか,表沙汰にならない暗い側面がついて回る.
いずれにせよ,多くの賛同の声があったから受賞という結果になった.つまり,それだけ価値のある業績であることに違いはなかった.それ以上でも以下でもないので,何か言うべきことはあるのでしょうか.
人間はとにかく自分の見方と合致していないと,何が何でも自己主張をするもので…と書きながら,このブログ内容も,当然,そういうものでもあります.
何かを主張している人を批判する人も,大きく見てしまえば同じようなものです.遠藤も同様に.偉そうに言えることは,本当は,まったくない.だから,こういう考え方もあるのだなという参考程度にしていただければ良いかと思います.
細々とした議論による検証なども必要かもしれませんが,結局は当事者たちにしか理解できないものがあり,第三者の視点は,些細なことで変わってしまう.
少し風が吹くだけで気分が変わりますからね,人間なんて.
自分の研究とは関係ないので,細かいことには興味が出ません,個人的には.
実際,他人が評価されるされない,これは自分には何の関係もありません.自分の研究を進める環境を構築して,自分の世界観を確立する,酷く利己的な意味では,それが研究者の本懐なのかも.
ただ,自分だけで取り組める研究は稀であり,周囲からのサポートなどを考えると,何らかのアウトプットを出し続けねばなりません.
そういう意味では,まだまだ.
どうにかしなければ.