0. 研究業界への一歩

これで3度目!…今度こそ,データを完全に管理したい.

細々とアップデートしていくため,公開後1ヶ月程度はマイナーチェンジを繰り返す予定です.

 

はじめに

まず,「キャリアアップを阻害する家庭環境等の要因がないこと」を以下の前提としておきます.家庭内問題で落ち着いて勉強できない,といったことを持ち出されても仕方がありません.

経済的支援については意思があるなら,奨学金を探しましょう! 最近は給付型の奨学金も増えてきており,10年前よりも支援体制は改善されてきています.

 

「なんでこんな手間のかかること書くのか」と思われるかもしれません.端的に言えば,遠藤の下に配属されるであろう将来の学生が,以下のような姿勢で戦ってくれれば,研究室の戦力が上がるからです.また,日本全体に対して何らかの貢献になるかもしれません.

必要なことだと認識しているはずなのに,実際に行動に移す学生は珍しいものです.おそらく現実的に見返りがあるかどうか,よくわからないため本腰を入れにくい,という要因もあるでしょう.一方で,何が競合ポイントか知らないし教えてもらえないから考える機会がない,これが本音という気もします.

学生側としては,いったいどのような人間が競合者として存在しうるか,ということを把握することで,若干は危機感を抱くかと思います.たとえば学生の皆さんは「教員は別の存在」と思っているかもしれませんが,教員も学生だったのです.教員は打ち倒してこそ価値があります.そういう基準となるものが,教員です.

将来の競合者は,隣で,このサイトに書かれているようなことを考えているかもしれません.

 

常識的な行動から始めよう

すべてを全員に等しく伝えるのは無理です.なおかつ個性に応じて学生への情報が絞り込まれてしまいます.とりあえず網羅的に書き込んでおけば,学生自ら取捨選択して対応することも可能です.

これから続く本シリーズは「これをしなければ」というものではなく,研究業界での仮想の競合者として遠藤を想定したとき,学生の皆さんが,どのように攻略するかを考えれば良いというものです.以下「こうすべき(遠藤は)」と書かれた部位は「当時うまくいかない遠藤が無理矢理にそう考えて自分を慰めていた」ことです.確証があってやっていたわけではありません.学生の皆さんが実際にすべきかどうかは,僕にはわかりません.

研究者を目指して何をすれば糧になるだろう,と考えて実際に取り組んでみると,実は常識的な行動が軸になることに気づきます.絶対的な力をもって他者を圧倒できれば良いものですが,多くの普通の人にとっては相対的な競争社会です.いかに常識的な行動を徹底できるか,それが1つの重要な点です.ところが暢気にやっている人は非常に多い.ほとんどのケースで,自分は特別な存在であるはずがないのです.それどころか,常識的な振る舞いも身に付いていません.

一例は,かなり単純です.同じ(ように思える)作業を5年は続ける,ということ.これが難しい.10年も続けることができれば,おそらく,なかなかの力量になっている,はずです.

多くの人間は,単純作業が嫌いです.しかし,教育を受けている段階で単純作業を続けることで,将来,社会に出たとき,単純作業労働者にならずに済みます.

仮に修士課程を出たとしても,実は多くの修士が,(少し高度な)単純作業の繰り返しに投じられていくのです.社会に出てからの作業に嫌気がさす修士卒は,かなり存在すると思ってください.基本的に,修士卒で,最先端研究に携わる場合は「旧帝大+東工大,早慶」出身者あたりで人材が充足していた気がします.博士も同様です.ここに,その他の大学出身から割って入るためには,それなりの創意工夫が求められます.そのような創意工夫が可能な人材は,確かに,有能であるのです.

「自分は,そういう大学出身ではないし…」と,現実を見て諦める程度であれば,そもそも研究者には不向きなのです.すなわち「自分は評価の高い大学にいる」という「評価を他人任せにする人間」を蹴り落とす,というくらいの意気込みがあれば,勝負になります.

 

ポジティブに考えても参考にはならないかと思いますので,本企画では,いかにネガティヴに考えるかを重視します.

学生を学生として評価するなら,あえて,以下を認識せずに「自分は(学生として)優れている周囲よりも」と思っても良いでしょう.それを基盤に,頑張って欲しいものです.しかし,数年後には学生から社会人として,独力が試される日を迎えます.そのとき学生として優れているか否かは,まったく重要ではなくなります.

理想は「絶対的な力」を持つことです(厳密には無理です).その「絶対的な力」のために,いかに諦めないか,これが鍵です.相対的に自分が意図せず浮上する可能性は極めて稀と思えます.

それは宝くじのようなものだと思いましょう.宝くじでさえ「購入する」という努力をしなければ,当たるわけありません.

 

どのような下地を作り上げるか?

1. 耐久性…肉体的,精神的.

2. 知のネットワーク…情報源にたどりつけること.

3. 創意工夫…一般的な仕事に通ずる.

4. 課題発見能力…研究者必須.

5. 意見の提示能力…これが無能だとキツい.

下地は4つ以上ありますが,基本的なものを並べてみました.

 

1. 耐久性

どの大学であっても抜き出た優秀な人間は,社会に出ても最先端で戦っていることが多い.しかし,この横並び社会で突出することの難しさは半端ではありません.

学生の皆さんは「社会のシステムが横並びにしており,出る杭は打たれる」と思っているかもしれません.しかし,普通の子供は横並びになり満足・安心しており,突出して孤立することをおそれているかもしれませんし,多くの場合は「出る杭は打たれるから出ない」という言い訳をしているに過ぎません.

まずは「打つ価値のある(邪魔な)杭」にならなければならない,とは思います.軽く打ったら一撃で地中に埋まって見えなくなる,そんな貧弱な杭になっても仕方がないでしょう.

「打たれることがわかっている」にも関わらず,杭になることを目指す時点でストレスがかかります.ストレスに強い,というのは,結局は最大の武器です.その上で,情報処理速度が早ければ,他者よりも早く成果につながります.

「耐ストレス」を身につければ,どの大学出身であろうとも,社会で活躍する下地ができるはずです.あとは情報処理速度を磨けば良いのですが,これが以下,勉強に依存します.

大概,大学進学の時点で中途半端でも仕方ないと諦めているのか,徹底的に耐えるという覚悟を持つことが難しい.そのため高校までの行動が,大学以降に大きな影響を与えているはずです.

「相対的に優秀」を目指すのではなく「絶対的に優秀」を目指すほかない.最終的には「無理」という結論に到達するはずですが,学生がそんな軟弱な考えでは実際に困ります.

単に自分の理想を遥か上に置けば良いのです.ただ,目標到達までに延々と時間がかかるので,長い期間に渡りストレスが続きます.

そこで耐えられない人が脱落します.まだ,当たり前の話しか出していません.仮に学士や修士で卒業することを前提にしても,ある仕事に対して「連続5年集中」が最低条件となり,その道で先導的な立場となるなら「連続10年集中」は必須となります.

多くが「そんなの現実味がない」と諦め,意味不明な自信によって理想を追求するように見える人間に置いていかれてしまう.彼らは自信があるわけではなく,そもそも諦めていないのです.

「諦めない人」という下地が必須かと思われます.1つ1つの作業に対して妥協する時点で,自ら資格を放棄していると思ってください.日常的に,諦めるか諦めないか,という選択肢は,何度も登場します.普段の姿勢から,結果は大きく変わるでしょう.ここで述べていることは「結果的にうまくいかなかった」ではなく「すべきことを知りながら投げ出した」場合です.

「諦めずに頑張ったからって報われるとは限らないし」なんてことを考えたことが,とりあえず遠藤にはありません.報われるかどうか考えて行動した試しがない,ということです.目的に向かって歩いているに過ぎません.

 

2. 知のネットワーク

情報処理といった能力は勉強に依存する,ようなことを書いていますが,最終的には「情報源がどこにあるか知っている」ことが重要です.どのテキストの,どのあたりのページに,その数値データがあった,といったことです.要するに,細かい数字を覚えても,役立つのは試験においてだけです.ありとあらゆる情報の大雑把な形状を認識し,それらの詳細を改めて利用するなら,テキストなど,様々な先にリンクできていれば良い.

たまに,歩く生き字引,のような人もいますが,情報の意味や価値を認識していないと「過去に何が達成されていないか」わかりません.そのため,知識の量を競争しても無駄です.その知識の源泉へと,遡っていける,神経のようなネットワークを複雑に張り巡らせることができる,これが研究者には求められます.

ちなみに,遠藤は,ネットワーク上を走るのが遅いので,それらを駆使してアイデアを出すことに長けてはいません.長けていませんが,しぶといとは自認しています.成果が出るまで諦めません.

 

3. 創意工夫

創意工夫は,今後も頻繁に登場しますので,ここでは割愛します.どうやって創意工夫に取り組めば良いかわからない,感覚が身に付いていない,という人は多いでしょう.それは実に簡単なことです.

たとえば,試薬を反応容器に入れるとき,空気に触れさせたくはない.こういった条件があるとき,どのようにして空気に触れさせないように取り扱うかを考えれば良いよいうことです.一般的には,そのツールは既に用意されていることが多いものです.ここでは,シリンジテクニックを使ったり,グローブボックスを用いたり.そのツールを知っているかいないか,これも上述の「源泉へのネットワーク」に関係してきています.

研究における創意工夫が効果を発揮するのは,そのツールさえ存在しないとき,かもしれません.目の前の課題に対する解決法を誰も提案しておらず,その重要性が顕著であれば,それは研究として成立します.そして,その達成の暁には,インパクトのある研究成果になるのです.

 

4. 課題発見能力

ところが,創意工夫できない人には,ある条件があります.それが「課題がわからない」というケースです.このブログでも述べていますが,課題を与えられて始めて行動可能,という若い世代が増えています.これでは困るのです,研究者は.自ら課題を発見しなければ,創意工夫により解決する段階に到達できません.目の前に明らかな課題があっても気づかない人は多いのです.単純なところでは,熱暴走することに気づかず反応容器を吹っ飛ばすケースです.

この問題が発生する背景に何があるか,詳細はわかりませんが,この教育システムにも原因はありそうです.たとえば我々は,特に大学受験まで「他者が用意した問題に解答する」という形で評価されてきました.つまり,既に問題は目の前に用意されているのです.この問題解決能力は,確かに目の前の課題に対するアプローチになります.

しかし,仮に問題が何も見当たらなかったら?…それなら何もしなくて良いか,というのが,おそらく昨今の若い世代の発想に近いのかもしれません.研究者は,何もなくても課題を発見しなければなりません.何もないところに波風を立てるだけでは,という意見もあるかと思いますが,この世の中,そもそも「何もない」という稀な環境は珍しいし,社会環境は基本的には放っておけば壊滅します.

放置すると崩壊する,それが現行の社会システムかと思います.つまり,何らかのアクションを永遠に起こし続けるほか,人類が生き延びる術はありません.よって,課題を発見し,それらを解決する研究者の存在が極めて重要なのです.

 

5. 意見の提示能力

極めて重要な素養と言わざるを得ません.
これは遠藤が研究室を運営するようになってから,かなり強く意識させられています.「意見を提示するなど当たり前のことでは?」というコメントもありそうですが,卒業研究から配属される学生の大半は,まず意見がない.とはいえ,それは別に,当初は問題とならないのです.
どのように意見を提示すれば良いのか,それが今ひとつ理解できていないのであれば,まずは,それがどのような行動かを周囲から吸収するべきです.しかし,研究室配属時に,選別されていない限り,3割程度は確実に「文句だけ言う」という学生が存在します.これがいかに問題かを認識さえしないようであれば,研究者として不適どころか,社会人としても敬遠されます.
つまり「意見が提示できない」のであれば「意見を提示する学生に従う」ことから始めるべき,ということです.現況の改善のために提案された物事に対して従えない時点で,社会性がない.研究活動には不適です.単に「ルールを守れない」ということになります.このような人は,社会に出て民間企業にでも就職すると,徐々に単純作業〜閑職に追いやられるリスクが高いでしょう.研究というのは,そもそも「危険性」などを内包しているため,ルールを守れない時点で排除されるべき人間ということになります.
では「意見が提示できない」まま研究者として活躍可能か?ということですが,まったく無理ですね.確定です.これは後にも書きますが,研究者が「意見を大量に提示する生き物」だからです.
 

見返りは「大きく劣化した理想像」

諦めずに,どれだけ努力しても,そのアウトプットは,理想には遥かに及ばないことが多い.

だから「普通に就職して普通に研究職として働き…」という理想は,まず就職活動にて打ち砕かれ始めます.以降,どんどん自分の理想は社会によって浸食されます.仕事に就く前から妥協していると,就職数年後には,自分の身勝手な理想像とは異なるという理由で,ただ余生を過ごす生活に突入することにもなります.

予期せぬ不利益が生じても,後悔することにならないよう,かなりの余裕をもった「理想の極大値」を模索する必要があります.

 

壁を知ることなく過ごせればよいが

なお,遠藤は,ただ単に苦悩と妄想が趣味,という人間であって,決して学業優秀というほどでもなく,これといって凄い知識を持っているわけでもなく,高度な技術を持つわけでもなく,優れた研究者というほどでもありません.そもそも遠藤は「高校の頃は化学が嫌い」でしたし「大学でも面白く感じなかった」ので「勉強が苦痛だった」という「なぜ化学の道を歩んでいるのか?」と疑われるような経歴の持ち主です.

大学に進むまで数学以外,勉強を面白いと感じたことがありません.その理由は「既出の知識問題に過ぎないのでは?」という疑念にあります.

だから安心してくれ,というわけではありません.だからこそ,いかに研究業界が恐ろしいところかを認識しなければならない.つまり「学業優秀 = その道のプロ」ではない.しかし学力はいずれ必須になります.その学力は知識ではなく活用法です.その活用法は,諦めずに勉強を続けた先にあります.

修士の頃の遠藤は,周囲の学生の攻撃力に常に怯えていたものです.それくらいのほうが良いのかもしれない.遠藤くらいの能力の持ち主は,研究業界には,ゴロゴロ転がっています.さらにハイクラスの人間も少なくない.そのなかで勝ち抜くのは,容易なことではありません.すなわち,遠藤を仮想競合者として蹴り落とすことは,学生にとって,ちょっとした基準にはなるでしょう.

 

当然のごとく「修士」から始まる,このシリーズですが,最も重要な期間は修士と言っても良い.博士課程に進学する場合は「覚悟を決めろ」という意味で重要ではあるのですが,修士課程においてミスをしていると,博士課程ではミスの上塗りになる危険性があります.

現学部生は,修士課程以降を見据えて,基礎的な勉強で固めましょう.もし,学士で卒業しようと考えている人は,もう少し考え直すと良い…かもしれません.

少なくとも,昨今の博士は,一般企業の事務と同様か,それ以上の書類作成能力や処理能力を有します.高度な専門知識,専門スキル,その他の自分を取り巻く環境に関する知識,行動力,さらに一般人には備わっていない研究能力,といったものを体得可能です.

 

民間企業に就職した場合,ここまでの総合力に到達することは稀です.理由の1つは,20代という若さにあります.この時期を逃すと習得に異様な時間を要するものです.誰でも30代になると,生物としての劇的な劣化を実感することになります.

20代は民間企業においても勝負所です.学士や修士は特に,20代で伸び悩むなら,30代40代で大きく改善が見られるとは思いません.

特に,一般的には身に付かない力で勝負を挑みたいならば,博士号まで修得することを勧めます.

 

では,以降,参考にしていただければと思います.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です